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寄稿・寄書/函館電子新聞 hakodate-e-news.co.jp
函館人 気質―。
この地に居を構えて足かけ十年になる。筆者は元々、この土地の出身で、地元の高校を卒業後、進学のため上京し、卒業。そのまま職に就き全国各地に移り住み、十年前からこの地へ移り住んでいる。人間の考え方、気質といったものが、その土地の風土と密接な係わりがあることは様々な検証の中で立証されており、また広く知られていることでもある。
高校卒業まではこの土地に生まれ住み、他の土地との比較無しで生活をし、また年齢的にも、特に考え方、気質等にそれほどの興味を持っていたわけでもなく、ただ、平凡に過ごしていた。
そういった中で、上京は筆者にとって多くの意味で、カルチャーショックであった。
そしてまた、その後、転勤の形で全国各地に移り住み、各地において人間の考え方、気質がその土地に根付いたものだということに気付き、また着目するようになった。この見地で、その土地、その人間をウォッチすると、なかなか面白いことが見えてくる。
筆者が各地で体験したことを基に、徒然なるままに、当地、函館における函館人気質について考察し、書き記してみようと思う。思いついたままを書きとめようと思うので、脈絡のない文章になりがちなことをお許し戴き、筆を進めようと思う。
地方というのはこの地に限らず、少なからず、名古屋、大阪の様な大都市においても、それぞれ特徴のある風土と気質を持っている。その意味では、名古屋、大阪なども地方といえるかと思う。東京は、江戸っ子気質なるものが、勿論あるが、現在では最も寄せ集め社会であり、風土、気質が薄まっており、少なくなっているのではないかと思う。また、そのこと自身が風土、気質といえるのかもしれない。人口の少ない都市、また地方へ行けば行くほど、風土、気質が強くなり、ある意味では閉鎖社会ともいえるのではなかろうか
このことは、その地で生まれ、その地で育ち、その地で根付いた生活をしている人々には実感として、なかなか意識出来ないし、またしないものである。これらは、比較対象がない、また少ないことに起因しているのだろう。
その視点からいえば、筆者のように根無し草的、放浪的生活をしてきた者には、地元の人々には見えない、感じないことを、感じる感性が芽生えるということがあるのかもしれない。
前記したことを踏まえ、地元の人々とは違った感性、またややもすれば偏見と独断に陥りやすい視点で、面白おかしく、この地を語ってみたい。
◇ ◇ ◇
どの地方においても、その風土と気質を考慮するとき、いろいろな要素があろうかと思うが、重要な要素としてその土地の歴史と地勢、この二つを挙げることが出来ると思う。歴史と地勢からこの地の風土と気質を炙り出してみよう。
まず、歴史から考えてみる。
この地が日本の歴史上に現れたのは、諸説あろうが知る限り、享徳【1454年】室町時代である。現青森県の津軽一族が、当時漁村だったこの地に、漁業の拠点としてであろう館を築いた。
その館が、箱のような形だったことから、この地を箱舘と呼ぶようになった。このこと自身は、歴史的にそれほど価値のある事ではないので割愛するが、後に、明治に入り、箱舘と改名した。
この地が歴史的に大きな要素がを持ち出したのは、やはり何といっても幕末の1859年に結ばれた日米修好通商条約に遡ること5年前に開港しており、清国、ロシア等との交易が始まっていたことだろう。必然的に、多くの人、物、文化などが集まってきたのは周知である。
また、日露戦争終結後、1907年、日露漁港協定により北洋漁業が始まり、北海道における船団の母港として釧路、根室と共に、太平洋戦争の時期を除き、1970年代まで繁栄した。筆者は、子供心にも、十字街、大門松風町が、人の流れで子供一人では歩けないほどの賑わいであったことを記憶している。
明治以来、北海道における交易、漁業等、産業の中心であり続けたこの町も、行政においては、その中心が札幌であり、北洋漁業の衰退と共に、その様相は徐々に、また大きく変化していった。札幌に、すべての要素が一極集中し、北海道の他の地方都市同様、衰退を辿ることになる。
さて、もう一方、地勢的見地からも、この地を考えてみる。
新天地、北海道と本州とを結ぶ交通の重要な拠点として、この地は幕末、明治から航空網の充実がなされるまでの100年以上、本州と北海道とを結ぶ拠点として、その役割を十二分に発揮し、人、物、金、もろもろが行き来し、大戦前までは、東北以北、最大の都市として繁栄を続けてきた。また道南の中心として集中してきたこともあり、周りに大きな都市が形成されなかった。これだけの範囲、周りに長い間、市が出来なかった例は、国内的にも、特殊な地勢といえるだろう。
筆者は、この町へ移転後、幼なじみ、高校までの同級、同窓生、また移転後、知り合った様々な職業の老若男女の方々と会話する機会に恵まれ、話好きでもあり、物珍しさからも、様々な場面で、この町の方々と会話してきた。
すると、人々の考え方、行動の仕方に多少の差こそあれ、大枠で共通部分があることに気付くにはそれほど時間を要しなかった。
いくつかあるがその一つとして、人と人の係わり、またビジネス、組織、コミュニティー等々において、「なんだかんだいっても、最後は人間関係だよ」といったフレーズが、必ず出てきて会話が納まり、地元の人々は、ほぼ、納得する。そして、ある種の満足感をお互いに感じつつ、議論が「めでたし、めでたし」で終結する。
本来、ビジネスとは、その本質は、メリットとデメリットとのプラス・マイナスであり、利益の追求であり、なかんずく、情緒的なものではなく、いわば無機質な物である。また、人と人との係わりは、非常に情緒的であり、それぞれ違った個性を持ち、それらを互いに認め合った上で成り立つものだと思うが、地元の方々は、最終的には人間関係で共通しなければフィニッシュしない。
加えて、良く耳にするフレーズに「そこが、函館の良いところなんだよ」ということがある。これは筆者が、地元出身でありながら、しばらく当地を離れ、はたまた知人も少ないことから割と気になるフレーズである。
人は、それぞれの環境の中で、人生観であり、発想、またビジネス感等々、様々な局面で自分自身の見職を育ててくる。それを、違った環境の方々と互いに話し合うのは、新しいことへの勉強にもなり、なかなか楽しいものである。これには勿論、結論、答はない。しかし、当地においてはこのような流れ、結末にはならない。
外来者と地元の人が、色々、話していくうちに、習慣、考え方、行動等々の面で違いが生じてきて、外来者が地元の人に、[地元の人のそこのところが、よく解らないんだよね?]と問いかけると、理由を言って答えるのではなく、「そこが函館の良いところなんだよ」との解答になるケースが多い。
このことは、「この地は、他と違って良い土地柄なのだ」との意識であり、郷土愛の一面とも言えるが、問いかけの答えにはなっておらず、外来者にとっては理解しにくい部分である。
また、「持ちつ持たれつ、お互い様」これもこの町の特性を表す重要で、代表的なフレーズである。
いくつかの実例を挙げて、筆者なりの独断と偏見で、分析してみたいと思う。
やたらと色々な会を、作りたがる。外来者の視点からは、目的、理由が良く理解できない会が多数ある。そして、この会の中での親睦は非常に重要であり、ある意味では、仕事面、実生活面、等々、あらゆる局面において、この町で生きていく上で、欠くことの出来ない事柄になっている。一人で、5箇所、10箇所、またそれ以上の会員になっている例も少なくなく、これが、社交性、顔ききのバロメイターになっている。
この会は、仲良しグループの面も勿論あるが、仕事面において、大きくこの町の風土を形成している。
例えば、様々な職業の人々が、形成している(何とか会)があるとする。通常は定期的な飲み会で親睦を深めているが、会員の中で、自宅の改装をするという会員が出ると、会の中に建築業者がいれば、必ず、その業者が請け負う。その業者の技術が高い、また見積もりが安いといった理由ではなく、会員だからである。逆に、その業者を指名しなかった場合は、会員同士、気まずい思いをして、最悪は、どちらかが、脱会といった結果になる。
また、車を修理するにしても、会員に、修理工場の業者がいれば、そこへ依頼する。これも、同じ理由からである。このような形で会員同士が仕事とお金を回しており、まさに生活そのものなのである。
他の地域において、このことが全く行われていないかというと、そうとはいえない面もあるが、当地のように、意識の中で、お互いに縛り縛られ、それが風土になっている例は、珍しい部類だと思う。
このような事実が現存しているため、5箇所、10箇所と入会し、顔出しをしていることにより、仕事を取ることが出来、結果的に「営業が上手で仕事が良くできる」という評価になる。
また、首を傾けたくなるような例として、世界的に著名でステータス的なボランティアクラブにおいて、会費を納めることもままならない会員が、無理をして会員を保っている例も少なくないそうだ。
食堂、居酒屋、スナックのママさん等々もいくつもの会を掛け持ちで入会している例も非常に多い。会員は、食事会、飲み会を必ず、会員の店で行う。食堂の料理が美味しいから、またスナックのサービスが良く、まんぞく感を得られるから行くわけではない。会員だからである。
これも、「持ちつ持たれつ、お互い様」「何だかんだ言っても、最後は人間関係だよ」。このフレーズにピタッとはまる風土であり、生活習慣そのものであることは、とても分かり易いと思う。
ここで見えてくるのは、スキルをアップさせる努力よりも、情緒的な人間関係構築の努力が優先されるということである。スキルアップの努力が軽視されていると思われる場面が散見されるが、そのような角度ではあまり考えてはおらず、「そこが函館の良いところなんですよ」といわれてしまえば、外来者としては、うつむくしか術が無い。
その意味では筆者など、なかなか溶け込ませてもらえず、寂しい思いをすることが度々である。
これまで、この土地の風土、習慣の特性について、いくつかの事例を挙げて述べてきた。
◇ ◇ ◇
次に、なぜ、この様な風土が生まれたかについて、歴史と地勢の中から、検証してみたいと思う。
前述したように歴史的には、幕末から1970年前後までは、開港、北洋漁業の船団集積地等々の理由で繁栄してきた。また地勢的には、本州と北海道との橋渡し地点、海の玄関口として、また近隣に大きな都市が出来なかった等々、歴史的、地勢的要素が相まって、人、物、金、文化の往来が非常に盛んであった。この人の往来が盛んだということが、非常に重要な要素である。人が往来するということは、来て留まるのではなく、通過するということである。
このことが歴史的、地勢的理由によって、ほぼ、100年以上続いたのである。必然的に、その中での風潮が生み出される。地元の人々にとっては、大量に集まって来る人は、大量に出ていく人でもある。そして、地元の人はいつまでも、地元である。地元民と往来者の係わり方に独特の特性が生まれている。
悪くいえば、通過する人々に対しては、その時限りの接し方になってしまい、地元の人同士は、逆に結束が強くなり、内向きな村社会的状況を作ってしまっているようだ。
筆者も移り始めた頃、一人でよく夜の街を俳諧していた。どこの店に入っても、ほとんど変わり映えはしないが、ひとつ、共通点がある。それは、初めて入る店では、ホステスさんは通り一遍の接客はするが、経営者(ママさん)は遠目で見てはいるが、ほとんど無視をしている。新規の客より常連客を優先する、ということなのであろう。地元か外来者か、知っている人か知らない人か、グループか否か、これらによって、対応の違いが割と理解しやすい。
このような接客商売においては新規客を優先するのが常道と思われるが、この町では「これが、函館の良いところ」なのであろう。
また、現在の函館朝市の評判も、これを端的な例として現しているように思われる。すべての店舗ではなく、一部であろうとは思うが、通り一遍の客に対する商売の仕方が問題になっている。いわゆる、売りっ放し、売ってしまえば、後は知らない。このイメージが、すっかり定着してしまい、地元の人たちが買い物をする事はほとんどなく、タクシー運転手も観光客に対して函館の評判が悪くなるといって違う市場を紹介する始末である。
例として、もう一つ上げてみる。
函館駅前地区に、屋台の店舗集合体がある。ここでは、店舗全体で酒類の販売価格を協定しているとのことである(某店舗経営者だった方で、現在は閉店して営業していない方からの情報)。
このことは、地元の人たちにとっては、通常なことであり、何の違和感もないことなのですが、非常に重要なことであり、この町の風土を表す典型的な事例である。最終消費者に対する販売価格が無競争で安定している。店舗同士で競争がなければ、各店舗が納入業者(問屋)に対して仕入れ価格交渉の必要があまり生じない。問屋も、店舗からの価格交渉があまりないものだから、メーカーに対しても価格交渉をあまりする必要が無い。一度、設定された価格が、まるで公定価格が如き安定をしてしまう。
この店舗集合体にも、市民が足を運ぶ事は、ほとんどない。観光客のみである。朝市との類似点を感じるのは、筆者だけであろうか。このことで見えてくることを少し分析してみたい。
まず第一に、流通内では波風が立たないが、その分、最終消費者が波風をかぶり、高い料金を支払わされてる。次に、流通内での人間関係をあまりにも重要視するため、ビジネスとしての交渉技術レベルが、あまりアップしない。この地に限らず、北海道全体にことえる事ではあるが、他県資本が入ると、割と簡単に負けてしまう。地元の人々は、規模が違うから仕方がない、という人が多いが、公平な目で見て、明らかに理由はそれだけではない。人間関係を重要視するあまり、ビジネスレベルアップに対しての努力が欠落しているのではないかと思えることは否めない。世の中は、勿論、人間社会であり、筆者も人間関係が重要であることを否定するものではない。がしかし、要するに、プライオーリティーの問題であろうと思う。
歴史的、地理的背景の中で、多くの人々が往来し、繁栄してきたが、さて、往来が多かったのは、地元民の努力によるものであったのか。現在、幕末期における開港メリットはない。また北洋漁業の船団集積地でもない。地理的にも海の玄関口ではあるが、現在北海道へは、ほとんど飛行機での往来が中心である。近隣に大きな都市がなかったが合併によって北斗市が誕生した。
諸条件が変化する中でこの町は衰退の一途を辿っている。ある意味で、歴史的、地理的役割を、終えてしまった町なのではないかと思える。
今からは、地元民、自らの力によって、往来を復活させ、繁栄の道を模索しなければならない。この地に限らず、日本全体に閉塞感が漂う中で、政権が変わり、国の在り方、国と地方との在り方、はたまた、形而上的には、新しい価値観の創造等々、変化を標榜とする時節を迎えている。
この地においては、従来の、「なんだかんだいっても、最後は人間関係だよ」「持ちつ持たれつ、お互い様」「そこが、函館の良いところなんだよ」などから、もう一歩進んで新しい風、また異質なものを受け入れる努力と勇気を持つことが必要だと思う。
さもなければ、「夕張に続け」になってしまうような気がするのは筆者だけではないと思う。
「和魂洋才」という言葉がある。この地においては、特にこのことの実践が必要不可欠であり、望まれるのではなかろうか。
今後も、この町の推移には興味を失わず注視して行きたいと思う。マーケティングの論理に、下り坂になったブランドは回復させる努力よりも、捨てて、新しいブランドを立ち上げる方が効率的で生産性が高い、との論理がある。
このまちが、そうならないことを望むものである。
(函館在住 O・T)